展示物
入口 「3.11から10年企画展」展示室は、白河市大工町31に設けました。
入口全面ガラス張りです。10枚目の豊田直己氏撮影写真が、表通りからガラス越しに見えます。是非、玄関をお入り下さい。
入口1970年、双葉町は原発を町民に浸透させるため、小学生に原発歓迎の標語を創らせました。
当時、最優秀作として表彰された標語でした。40年経過した2011年、安全とされた原発は爆発を起こし、放射性物質を飛散させました。原発が、自死者を生み出しました。酪農家が壁に残した絶筆です。
入口原発立地町の双葉町が受けた原発の洗礼。
原発が爆発したため、避難しました。町が撮った、地雲・津波のつめ跡と、原発事故で町を捨てざるを得なかった住民の姿です。
入口富岡町も福島第二原発を誘致していましたが、幸いにも原子炉冷却ポンプ1機が生き残ったため、爆発を免れました。
しかし、第一原発の放射性物質が及んだため、全町避難しました。
入口福島第一原発ら80km離れている白河市にも、放射性物質が到達しています。
市民グループ「白河くらしの会」が、農産物など食材の放射性物質汚染被害の実態を学習し、市民啓蒙の活動を行い、食事からの体内被曝の軽減を訴えました。
入口@白河市でも、土砂崩れと国指定の史跡・白河小峰城の石垣の崩壊が起こりました。
余談ですが、この10年の間に小峰城石垣は再建されました。そして、この再建で培われた石垣の復元技術が、九州熊本城の再建の見本とされています。
A「白河くらしの会」活動内容、市内の空間線量率経年観測図。2011年から7年間記録されました。
入口@この10年間の、鹿児島県川内市(せんだいし)川内原発の、再糘動反対の裁判闘争の市民運動を紹介しています。
A福島県内の子供の甲状腺がんは、2020年6月現在246人に及んでいます。甲状腺がん罹患者は、福島以外の県にも出ています。栃木県の県民が、自費で甲状腺がん早期発見のために活動を行っています。
入口タイベックスーツの代用として使われた、雨合羽・女性用外作業帽子・ゴム手袋・マスク。
提供者は、双葉町にある双葉厚生病院の医師です。この医師は、2km先の原発が爆発を起こした最中、入院患者の治療に当っていました。しかし、原発放射線が病院に襲いかかっていることは思いも寄りませんでした。突然タイベックスーツに身を固めた自衛隊員が現れ、避難しろと、病院スタッフに告げました。
病院内は「絶対安全」の神話の下にあったため、タイベックスーツは配備されていませんでした。代用として利用されたのが雨合羽であり、実際に使用された実物を展示しています。
入口写真ジャーナリスト豊田直巳氏の原発事故被災地写真。
2枚目の自死者絶筆写真も、同氏の撮影です。牛乳を捨てさせるれる酪農家。飼い主亡失で、餓死した駝鳥。タイベックスーツ姿の除染労働者等。

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